聲の形の感想

 聲の形という漫画は別冊マガジンで読みきりとして掲載され、あの進撃の巨人惡の華を抑えアンケートで1位を獲得(この時点で前代未聞の快挙)。その後、週刊少年マガジンで連載が始まり、今も連載中という作品です。


 この作品には声の聞こえない女の子が登場し、かなりリアリティのあるいじめを受けます。いじめの主犯格は主人公です。
よく、掲載できたなと思います。実際、孤児をテーマにしたドラマ(明日、ママが居ない)は見事に炎上してます。この作品が炎上していないのは周到な根回しのたまものでしょう。編集部がこの作品を成功させるためにベストを尽くした結果であり、この作品のポテンシャルを表すエピソードと言えます。


 自分はこの作品がとてもお気に入りなので、ネタバレしたくなかったこともあり、感想書かないようにしてましたが、もう我慢できないのでちょっとだけ書きます。以下ネタバレあり。


西宮硝子はいじめられていたのか

 障害者が出てきて、しかもいじめを受けるというショッキングな展開からスタートするため、そっちに目が行きがちですが、自分は「西宮硝子がホントところどう思っているのか」というのが、作品の重要なファクタであるのではないかと考えています。


 もっと言うと、登場人物の多くは、西宮硝子はいじめられていたという共通認識であれこれ言ったり動いたりしているけど、ホントのところ「西宮硝子はいじめられていたという自覚がない」のではないかと考えています。
 もしそうなら、今行われている「昔、西宮をいじめてたのは俺だ!悪いのは俺だ!」とか「行動を起こさなかった人も責任がある」とか「私は悪くない!」とか、他人様がえらそうに手を振り上げたりとか、壮大な茶番というか、本人不在の自己満足になります。


 もし上の仮説が正しいなら、登場人物の多くが西宮硝子の本当の気持ちを理解できていないという事になります。言い換えると「西宮硝子は昔いじめられていてつらい過去を抱えたかわいそうな子だ」という、共通認識を、皆、無意識に持っているという事であり、この大前提が間違っているかもしれないということに気付かなければ、ずっと彼女のことを真に思いやった行動に至らないのではないかと考えます。もっとも、それはそれでまずいことではないのかもしれないですが。



西宮硝子がいじめられてた自覚がないという仮説の根拠

 西宮硝子が小学校の時いじめられていたのは間違いありません。
・クラスのみんなの前でからかわれる。
・黒板やノートに悪口を書かれる。
・補聴器を奪われ壊される。
・ゴミをかけられたりノートを捨てられる。
・皆が自分を避け、コミュニケーションをとろうとした人はいじめの追加対象となる。
 多くの人がこういうことをされたらいじめられたと自覚するはずだし、完全にいじめです。だから、西宮硝子はいじめられていたと「自覚」していたはずだと、無意識に考えてしまうところです。
 そう考えると「いじめられていた自覚がない」という仮説はおかしいだろって思われるかもしれません。しかしながら、そう考えないと辻褄が合わない点がいくつかあります。


 「いじめられていた自覚がない」とする一番の根拠はノートです。西宮硝子は耳が聞こえないため、会話が行えません。また、手話を使える人もほとんどいないため、会話らしい会話はこのノートによる筆談のみと考えられます。


 このノートが西宮硝子にとってどういうものかを表すエピソードがあります。ノートを石田が奪い、泉に捨てるシーンです。西宮硝子は迷わず泉に入り、捨てられたノートを取りに行きます。結局、後日、このノートを石田が拾うのですが、大量の悪口が書かれていたのを見つけます。つまり「西宮硝子は自分の悪口を書かれたノートをとても大切に扱っている」ということになります。
 このノートは2巻の冒頭でも登場し、石田と西宮硝子が再会するキーアイテムになっています。石田も疑問に思います。なぜ悪口が大量に書かれている痛々しいこのノートを大事にしているのだろうと…


 この矛盾が西宮硝子の本心に迫るキーだと自分は考えます。「なぜ悪口が大量に書かれているノートを大事にしているのか」これにこたえられなければ、西宮硝子の本心を誤解しているリスクがあまりにも高いからです。


 これに対し、自分は「西宮硝子はいじめられていたという自覚がない」とすることで説明がつくと考えました。もっと正確に書きますと、
「西宮硝子はコミュニケーションがうまくいかない現状を『自分が悪いから』と整理しており、自身がいじめられているという『被害者意識』を持ち合わせていない」ということです。さらに言うと、西宮硝子はコミュニケーションに非常に貪欲で、悪口が書かれたノートや石田のからかいですら「コミュニケーションが取れた思い出」という整理をしている可能性があります。
 耳が聞こえない西宮硝子は、コミュニケーション手段が大きく制限される立場にあり、多少ネガティブな接し方であっても、コミュニケーションできたと止揚して解釈している可能性があります。むしろそう考えないと、ノートを大事にしていることや、その後の石田への態度や感情が説明できないと思います。


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止揚アウフヘーベン)とは
 矛盾したことをレベルを上げて1つにまとめること。
例1:「この公園でサッカーをしてはいけません」という看板があったとする。この看板は「この公園はサッカーをしてはいけない」ということを意味するが、一方で「この公園はサッカーをすることができる」という逆の意味も表してしまう。
つまり、「してはいけない⇔できる」という矛盾を解決するために、この矛盾を止揚したものが看板であると言える。


例2:あなたは友達と明日にマクドナルドで昼飯を食べる約束をした。翌日マクドナルドに行くと、別の友人がアルバイトをしているのに出くわした。この出会いは偶然か、必然か。
・たまたま出会ったのだから偶然である。
・昨日約束をした時点で鉢合わせするのは確定していたのだから必然である。
→偶然の対義語は必然であり、偶然であり必然であるというのは矛盾する。→偶然と必然という矛盾を止揚し「運命」と解釈する。


 今回のケースの場合、一般的には好意はウェルカム、悪意はノーサンキューだが、西宮硝子は好意も悪意も、コミュニケーションというレベルで止揚して解釈しており、すべて大切なものなのではないか、ということ。


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もし仮説が正しいなら

 石田やいろんな登場人物が過去のいじめについてあれこれやってますが(これはこれで青春してていいのかもしれませんが)、あまり良い方向に進んでいるとは言えません。西宮硝子本人がいじめられていた自覚がないのに、勝手に被害者として扱い、みんなの関係が壊れていき、その責任を西宮硝子が勝手に自責するという負のループが形成されてしまいます。


 さらに言うと、西宮硝子は石田に好意を持っているのが明らかですが、このままだと、石田はそれを受け入れることができないでしょう。
 西宮硝子は、ただ普通の女の子のようにみんなと遊び、恋愛をし、コミュニケーションをしたいだけかもしれないのに、石田は自身をいじめをしていたクズと認識しており、彼女の好意を受け入れる資格はないとか考えてる可能性が高いです。つまり、石田は西宮硝子を被害者として認識してしまっているのです。というか、登場人物の多くがそういう認識をしてしまっています。読者でさえもそうなのではないでしょうか。




 自分は「西宮硝子がホントところどう思っているのか」が重要なテーマだと書きました。そして「西宮硝子がいじめられていた自覚がない」とするならば、「西宮硝子は被害者」という認識が誤りであり、そこから脱却できるかという事が出来るか、という点が見どころになると考えます。
 キーとなるのは「西宮結絃」「長束君」「植野さん」の3人かと思います。


 西宮結絃は西宮硝子の石田に対する感情に気づいており、それを応援する立場に居ます。石田はまず彼女の本当の気持ちを認識するべきで(どこかで気付かないとひたすらすれ違って終わってしまう)、そのためには彼女に最も近い立場にあり、かつ協力的な西宮結絃は間違いなくキーキャラクターでしょう。


 長束君は小学校のいじめにかかわっておらず、客観的に物事を見ることができる人物です。石田に必要なのは過去がどうとかではなく、これからどうするかです。それには客観視とそれを説得力を持って説明することが必要です。長束君はそれらの条件を満たしています。
 一方、たれ目のほう(名前忘れた)は、無責任で安全な立場でモノを言う「他人様」を象徴したキャラクターで、自分が嫌悪している人種と今自分が弱者(石田)にやっていることが何も変わらないということに気づいていない時点で、反面教師以上にはならないでしょう。


 植野さんは西宮硝子が被害者であるという考えが間違っていると仮説を立てている人物であり、コミュニケーションに飢えているという点も看破しているキャラクターで、まさに西宮硝子の気持ちを理解するための最短ルートを突っ切っているキャラクターに(自分には)見えます。
 それ故に行動に無駄がなく、鋭すぎるくらい鋭く映ります。石田以上に西宮硝子を理解しようとしているように見え、彼女の行動そのものが石田にとって大きい影響を与える可能性があります。ただし、彼女自身も石田に好意を抱いているため、彼女の存在は、石田と西宮硝子にとって薬になるか毒になるかわかりません。